盛夏御見舞申し上げます
〈次の一歩へ〉この秋から春へのコンサートのタイトルです。
50周年を迎える事が出来、
その先への〈一歩〉を踏み出すための心配りの時分柄と思っているのです。
余りにも思い出が多すぎるそんな刹那の繰り返しの半世紀だったから、
何の、誰の、何時を思い流して 語れば良いのだろう
なんて 深く考えてしまいます。
最近、舞台で話をしていてもふと天使が通る事があるのです。
あ〈天使が通る〉とはふと会話が途切れ 皆が黙ってしまう、
その沈黙の一瞬の事を言うのですが⋯
では何故その 天使が通る瞬が生まれるのかと言うと
話を進めている内に ふと「そう言えば!」と言う
忘れていたもしくは秘めていた刹那の一頁が甦るからなんです。
「ダメだダメだそんな思い出話は 今必要じゃ無いんだ〜」と言い聞かせても
甦りだした思い出は 不思議な程に溢れて来てしまうのです。
いやはや 困ったものなのです。
そんな昔を辿りながら、古いレコードを流して
ビールをグビッと 渇いた喉に流し込んだら
ベランダから急に強い風が舞い込んで来た。
腰をかがめて空を見上げたら 入道雲がわいている。
正岡子規の句に『夏嵐 机上の白紙とび尽くす」と言うのがある。
「あー正岡子規でも 筆が進まない時があったのかな〜」と
人間らしさを感じて好きな句なのだけど、
その夏嵐・夏疾風(なつはやて)とも言うのですが、急に吹き出す
激しい夏の風の事を言うのです。
みるみるうちに稲妻がはしり 大粒の雨が落ちてきた。
子ども達の慌てた声が駆け出して行く。
「タ立か〜!」
でもちょうどレコード1枚程でいい塩梅に雨は上がった。
後は 涼しい通り風だろう。
雲の間の薄青い空は いつも何故か儚い。
でも⋯
暮なずむ 雨の後の通り風にしては 如何にも生ぬるい!
気候の変化か私の感受性の変遷か 時代が移ったのか
鳴呼せめて〈次の一歩へ〉の終演後には 心の中に涼しい風を吹かせたい。
きて⋯やるか。
布施明