振り向けば冬が三間後ろで頭を下げて見送っている
新年の御挨拶もせぬままに節も過ぎて、立春を越え、
春めく足音が聞こえて来るような気配の時節になってしまいました。
春の神さまを青皇と言います。
そこから青春と言う言葉が生まれて来たのです。
ちなみに夏の神さまは朱帝で朱夏と言い、秋が白秋、冬が玄冬。
いわゆる春は青く、夏は(朱色)赤、
秋は白く、冬に黒(玄は・そう玄人って言うでしょ!)
この四季を青年期壮年期中年期老年期と人生を移りゆく季節になぞったのです。
「あいつはまだ青いな〜」なんて言うのもこの青春から来ているのかも知れません。
今日ミュージカル映画〈レ・ミゼラブル〉の話題をラジオの番組でやっていました。
実は私はこの〈レ・ミゼラブル〉と言うタイトルがあまり好きではありません。
私には中学生の頃、入院生活を送っていた病院で聞こえて来る米軍機のエンジンの
音を枕に夢中で読んだあの〈鳴(ああ)無情〉がすべてなのです。
〈ああ無情〉なんと悲しい響きなのでしょう。
ミゼラブルより無情の方が日本人の心にズシンと残るに違い有りません。
病院のベットで人の世の無情を嘆いた少年の涙をどうしてくれるのか⋯。
日本語訳の題名をつけた黒岩涙香もきっと溜め息をついて居る事でしょう。
「地上には花空には星 この花と星の他に今の私に何が必要なのだろうか。
生きて行くには色々な物が必要と思いがちだが、美しく生きるのに必要な物は
ごく僅かです。」とミリエル司教が〈ああ無情〉の中で私を諭したのです。
この無情の世界は、私の好きな孤高の画家田中一村や高島野十郎の境地とも
繋がるでのです。
だから⋯そんな訳で私の心の中ではこれまでも、これからも、
ずっと〈嗚(ああ)無情〉でしかないなのです。
そんな中学生時代の長期入院生活、病名は若年性貧血。
多分栄養が足らずにビタミン不足だったのだろうと思う。
それ以来大病をしたことも無い。
それが昨年から体調不良が少々続いているのです。
心配する程の事はないのですが、軽度の肺炎は歌う息つぎの邪魔をして
持病の耳なりは睡眠を妨げる程の凄まじさ。
身体も心も一瞬のバランスの崩れから出口が見えなくなってしまいます。
抜け出すには静養しか無いようで⋯
そう言えば今までメンテナンス無しで走り続けていたようです。
だからちょっと心と身体のケアーの為に静養してみようか⋯。
最近夕暮れ時に、そして夜更けにギターを持つと
結構メロディーが浮かんで来て昔の仕草がよみがえって
「あぁ忘れてたな〜」なんて何だかへんに嬉しくなったりして居ます。
これは5月からのライブのアイディアが見えて来た感じです。
春になったら思い切り大きく息を吸って、また一歩踏み出したいと思っているのです。
Akira Fuse