東日本大震災考 2
東日本大震災考
毎日、TVなどの報道で見る被災地の情景より、
実情は何十倍も凄まじいものらしい。
私の親戚の無事は確認されたが、何万もの同胞が亡くなられたり、
行方不明のままだったり、何十万もの人々が被災して家を失い、
避難生活を強いられている事を思えば「ほっと安堵した」
などと言うような言葉さえ軽々しく発する事は出来ない。
岩手生まれの母を見ていて、いつも思う事がある。母は口下手で、でも我慢強く、
人前で泣いたところなど見たこともない。でもそんな東北人気質には、
寡黙でおとなしい人柄とか、頑固だけどあったかい性格とかの
単純な言葉では表せない何かが心底にあると思う。
江戸時代も、幕末の列藩から明治の代も、
都会が浮かれた大正デモクラシーの時代も、先の大戦の時も、
歯を食いしばった奥州人のDNAが、今また立ち向かっているのだと思う。
福島第一原発には、舞い上がる放射線物質の中に突入し放水した東京消防庁の
ハイパーレスキュ一隊員の方々もそうだが、
地震、津波の後も原発に残った主に下請の50人の作業員の事はあまり報道されない。
しかしアメリカなどでは、
その勇猛果敢な行動を称えている。
50人は我が身を捨てて必死に職場に残り、頑張りぬいた。
お彼岸の中日、春分の日の頃吹く西風の事を言う。
西風!!福島第一原発の陸から太平洋に吹く風である。
彼等を守るく彼岸西風>ひがんにしが、そよと吹く事を祈って止まない
なんて簡単に歌っていたけど、涙は枯れる事はない。
私の身体の何処にそんな涙が潜んでいたのかと思うほど、次から次へと流れ出る。
ある識者が「頑張れって言わない方がぃいんです」と言っていたが、
遠く離れていたら「頑張って!!」「頑張ろう!!」
としか言い様がないではないか。
勿論、準備はしておこう、心も身体も。
必要とあらば、微力ではあるが使っていただこう。本当にそう思っている。
熟考の末、私がすぐに出来る事を考え、
16日の三重四日市市から20日の愛知犬山市、
そして26日ファイナルの中野サンプラザをチャリティ・コンサートに
変えて開催させて頂く事にし、
昨年自費で制作したく1万回のありがとう>をお買い上げいただぎ⋯
いや1500円を義援して頂いた方にく1万回のありがとう>のCDを
プレゼントさせていただくという形にして、
各地の自治体等を通じて義援金として寄付させていただく事にしました。
総額は100万円程になります。